翻訳と辞書
Words near each other
・ ルイビル・グレイズ
・ ルイビル・スラッガー・フィールド
・ ルイビル・バッツ
・ ルイビル国際空港
・ ルイビル市長
・ ルイビル海山列
・ ルイビンスク
・ ルイブノエ
・ ルイブールの戦い
・ ルイブールの戦い (1745年)
ルイブールの戦い (1758年)
・ ルイブール要塞
・ ルイプキン
・ ルイベ
・ ルイボス
・ ルイボスティー
・ ルイボ山
・ ルイヤ語
・ ルイヨウショウマ
・ ルイヨウショウマ属


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ルイブールの戦い (1758年) : ミニ英和和英辞書
ルイブールの戦い (1758年)[るいぶーるのたたかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

ルイブールの戦い (1758年) : ウィキペディア日本語版
ルイブールの戦い (1758年)[るいぶーるのたたかい]

1758年のルイブールの戦い(英 Battle of Louisbourg、仏 Siége de Louisbourg)は、フレンチ・インディアン戦争中に、フランス支配下にあったルイブール要塞を、イギリスが攻略した戦いである。これにより、イギリスはセントローレンス川への航路を確保し、翌1759年ケベックへの侵攻を可能にした。
==イギリス軍の遠征と上陸==

ケープ・ブレトン島要塞の町、ルイブールは、オーストリア継承戦争期間中の1745年に、イギリスの後押しを受けたニューイングランド植民地の兵に侵攻されたが、アーヘンの和約でフランスに返還された。これにより、イギリスの、カナダ征服の野望が後退した。1758年、ルイブールのフランスの駐屯部隊はわずか3,000人だったが、この年の早春に、やがて起こるであろうイギリスの奇襲に備えて、港を守るために、5隻の軍艦が来た。〔Louisbourg 〕同じ1758年の5月下旬、エドワード・ボスコーエン提督率いるイギリス艦隊が、ノバスコシアハリファクスから、ルイブールに到着した。ボスコーエンと、陸軍の指揮官ジェフリー・アマーストは、上陸の計画を練った。一方、ルイブールの総司令官であるオーギュスタン・ド・ボシェンリ・ド・ドリュクールは、イギリス側の企みに気づいており、上陸阻止と、包囲への抗戦の準備を進めた。
ルイブールのガバルス湾岸には、塹壕が掘られ、砲床が据え付けられていて、港には、5隻の、戦闘準備を整えた艦隊が、イギリス軍の接近から港を守るように配備されていた。湾の沖合に停泊したイギリス軍は、悪天候のため上陸を見合わせていたが、6月8日准将ジェームズ・ウルフ指揮下の軍が上陸に踏み切った。ボスコーエンの艦の大砲が、この上陸の援護射撃を行った。
フランス軍の防御はすさまじく、ウルフ軍の船は退却せざるを得なかった。しかし退却の際、大きな岩の陰に、上陸するのに手ごろな場所を見つけた。この場所は、ガバルス湾の淡水の入江の近くで、ケニントン・コーブと呼ばれ、ルイブール国定史跡の一部となっている。〔The Seige of Louisvourg, 1758 by Larry Ostolo 〕上陸したイギリス軍は、側面と背後からフランス軍を攻撃して、ルイブールの要塞へと退却させた。フランスがかなり目を光らせていたが、イギリス軍も、物資や大砲を陸揚げして、町の方へと進軍して行った。ウルフは、港を包囲し、灯台のある、ライトハウス・ポイントを奪うよう命じられ、1,220人の兵とともに、6月12日にライトハウス・ポイントを占領した、この場所に砲台を築いて、港を射程内に納めることができたのである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイブールの戦い (1758年)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.